80年代後半に華麗にトップスターへと登りつめたアイドル四天王「工藤静香」さん。
近年はフルーティストの娘のCocomiさんとのメディアでの共演や、Koki,さんのモデルプロデュース、また木村拓哉さんの妻ということでもよく話題になりますね。
最近では紅白でのCocomiさんとの共演が大きく注目されました。
アイドル時代の工藤静香さんのトレードマークでもあった、前髪を立ち上げて薄くすだれのようにおろすヘアスタイルは「トサカ前髪」と言われ日本中の女子だけでなくアイドルもこぞって真似したものです。
当時の日本は和服からボディコンまでトサカ全盛期で、そのトサカ女王はまさに工藤静香さんでした。
工藤静香さんって、細いけど声量すごくて歌ってるときはやたら色っぽいという不思議な魅力で男子にも女子に大人気でした。
誰しもが真似をしたあのヘアスタイルや、聞いたことのあるあの名曲を画像と動画と共に振り返りながら工藤静香さんの全盛期を探ってみましょう!
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工藤静香の全盛期はいつだった?出演作品と画像で振り返るタイムライン
工藤静香さんの初期のアイドル時代は「おニャン子クラブ」のメンバーの一人として活動していました。
華奢なスタイルでパンチのある歌い方と歌唱力でどんどん頭角をあらわし秋元康さんプロデュースのもとソロデビューしました。ソロ後から見てみましょう。
- 1987年
- 1988年
- 1989年
- 1990年
- 1991年
- 1992年
- 1993年23歳
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
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工藤静香の全盛期は18歳から23歳頃と断言できる2つ根拠とは?
- 18歳のソロデビュー曲「禁断のテレパシー」でオリコン一位
- 中島みゆき&後藤次利のタッグ曲を柱に、18歳から23歳までの5年間はオリコンランキングで首位を連続キープ(ほとんどが一位)
この2つが根拠です。
工藤静香さんが18歳でソロデビューのオリコン一位は、在籍していたおニャンコクラブの静香ファンの層がすごかったこともあり、ランキングを押し上げた形でした。
でもおニャンコクラブからソロデビューしたアイドルは他にもいましたが、最初はそこそこヒットしてあとは鳴かず飛ばずでフェードアウト的なスタイルがほとんどで、工藤静香さんもそういう流れを歩んでいました。
ところが4thシングルのFU-JI-TSUであの中島みゆきさんの作詞が起用され、中島みゆき&後藤次利のタッグ曲でデビュー作を超える大ヒットとなり、そこから勢いがつき「くちびるから媚薬」まで大ヒットが続きます。
それからしばらくは大ヒットからヒットへとクールダウンしたものの18thシングルの慟哭で過去最高の93万枚をたたき出した大ヒットと返り咲きました。
こうしてみると中島みゆき&後藤次利のタッグ曲が転機となっていたことが一目瞭然です。
工藤静香 CDシングル売上枚数一覧
発売日 | タイトル(/複数A面) | 累計売上(枚) |
---|---|---|
1987.8.31 | 禁断のテレパシー | 145,920 |
1987.12.2 | Again | 158,730 |
1988.3.2 | 抱いてくれたらいいのに(作詞: 松井五郎 作曲:後藤次利) | 181,550 |
1988.6.1 | FU-JI-TSU (作詞:中島みゆき,作曲:後藤次利) | 253,210 |
1988.8.24 | MUGO・ん・色っぽい(作詞:中島みゆき,作曲:後藤次利) | 540,570 |
1988.12.28 | 恋一夜(作詞: 松井五郎 作曲:後藤次利) | 607,290 |
1989.5.3 | 嵐の素顔(作詞:三浦徳子 作曲: 後藤次利) | 524,270 |
1989.9.6 | 黄砂に吹かれて(作詞:中島みゆき,作曲:後藤次利) | 586,210 |
1990.1.10 | くちびるから媚薬(作詞: 松井五郎 作曲:後藤次利) | 488,520 |
1990.5.9 | 千流の雫 | 295,000 |
1990.9.21 | 私について | 264,680 |
1991.1.23 | ぼやぼやできない | 324,430 |
1991.5.15 | Please | 191,290 |
1991.10.23 | メタモルフォーゼ | 440,110 |
1992.1.29 | めちゃくちゃに泣いてしまいたい | 281,650 |
1992.5.21 | うらはら | 214,410 |
1992.8.21 | 声を聴かせて | 326,040 |
1993.2.3 | 慟哭(作詞:中島みゆき,作曲:後藤次利) | 939,240 |
1993.6.2 | わたしはナイフ | 187,280 |
1993.10.6 | あなたしかいないでしょ | 204,680 |
1994.3.18 | Blue Rose | 305,260 |
1994.7.21 | Jaguar Line | 243,980 |
1994.11.18 | Ice Rain | 413,880 |
1995.5.19 | Moon Water | 172,080 |
1995.11.20 | 7 | 82,690 |
1996.3.21 | 蝶 | 73,040 |
1996.6.5 | 優 | 73,100 |
1996.11.7 | 激情 | 423,750 |
1997.5.28 | Blue Velvet | 266,510 |
1997.11.19 | カーマスートラの伝説 | 37,490 |
1998.2.18 | 雪・月・花 | 89,170 |
1998.7.17 | きらら | 383,560 |
1998.11.6 | 一瞬 | 26,520 |
1999.4.7 | Blue Zone | 19,560 |
2000.11.8 | 深紅の花 | 22,040 |
こうしてトップアイドルの地位を確立し、人生の中で最もエネルギーに満ちていて、女性としても美しい時期に華々しい歌手としてのキャリアを残した工藤静香さん。
本人の歌手としての資質や努力、キャッチ―な容姿はもちろんですが、若い頃から数々の大物との縁に恵まれてきたことから相当な強運&戦略家といえるでしょう。
「慟哭」以降は徐々にランクダウンしていき、2000年(当時30歳)に木村拓哉さんと結婚した翌年に長女のCocomiさん、2年後にKoki,さんを出産してからは表舞台から遠ざかります。
以上の事から、工藤静香さんの全盛期は18歳から23歳までと私は推測しましたがいかがでしょうか。
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プロフィール
芸能活動における転機
- 1984年 セブンティーンクラブ一員としてデビューするも鳴かず飛ばず。
- 『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、おニャン子クラブのメンバーになる。人気ランキングで首位の常連となる。
- その後、ソロシンガーとして「FU-JI-TSU」「MUGO・ん…色っぽい」など立て続けにヒットを飛ばす。
中山美穂の若い頃の記事はこちら。
- 結婚後はマイペースで芸能活動や画家、ジュエリーデザイナー、娘二人のプロデューサーとして活動中。
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まとめ
工藤静香さんの過去のシングルを聞いていると、その当時の空気が一気によみがえってくる気がします。
スダレ前髪、ワインレッドや紫がかった濃い口紅、紫を多用した服やステージセットなどアイドルの中ではヤンキー&お水っぽいキャラで特にそっち系の方々には絶大な人気がありました。
華奢な体から発せられる力強い歌声に中島美みゆきさんや後藤次利さんの刹那的な詩とメロディがとてもマッチしていました。
ロックスターのYOSHIKIさんが元彼だったり、国民的スターの木村拓哉さんが夫ということもあり、常にアンチからの炎上も多い方でもあります。
でもまるでそれを燃料にして前進し続けているような、誰もがけして見ることのできない景色を見続けながら、そしてまだまだ前に向かってなにかを掴もうとしている、そんな女性に感じます。
これからの工藤静香さんにも注目したいと思います。
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